俳句 – 日本の四季 初冬 –

鮮やかに山々も色づき、日々秋の深まりを感じる季節となりましたが、俳句の世界では旧暦の10月、すなわち現在の11月は初冬の季節になります。この季節の季語の一つに「神の留守」という言葉があります。この月になると日本中の神社の神様は、島根県の出雲大社に集まり談合すると信じられてきました。旧暦の10月が神無月といわれている所以です。「神の留守」とは各地に神様の居ないことを意味します。

神留守のいさかひもして湖の鳥  能村登志郎(のむら としろう)

神様が目を光らせていないので、鳥たちが争いをしているというのです。教室から先生が出て行った途端に、生徒達がざわつく感じでしょうか。普段なら鳥たちが突付きあっていたとしても気に止めないかも知れません。ただ、今は神様が居ないという心理が働いて、いつもの風景も少し違ったように感じられたのでしょう。時には、神話の世界へ思いを馳せることも楽しいものです。

日本では11月15日に、三歳、五歳、七歳の子供の成長を祝い、その歳になる子供に晴着を着せてお宮参りをする「七五三」という行事があります。神様不在の神社へ参詣することに矛盾を感じるかも知れませんが、「七五三」は、明治の初めまでは、旧暦の11月15日の行事でした。15日近くになると、あちらこちらで盛装したおすまし顔の子供たちを見かけるようになります。

七五三両手遊んでをりにけり  稲畑汀子(いなはた ていこ)
七五三迷子の祖父を探しゐる  大串章(おおぐし あきら)

一句目は、両手遊んでをりにけり、と言い切ったことで、綺麗な振袖を着せてもらい、嬉々として手をひらひらさせている女の子が見えます。きっと紅もさしてもらったのでしょう。二句目は、当事者の子供の事には何も触れていませんが、お祖父さんが迷子になってしまったことで、神社の境内の賑わいや祖父母も一緒にお宮参りに来ている一家のほのぼのとした様子が伺えます。同じ風景でも作者の切り取り方によって、俳句は様々な場面を詠むことが出来ます。

冬の果物でまず頭に浮かぶ物は、蜜柑ではないでしょうか?私たち日本人は、茶の間に蜜柑が登場すると冬がそこまできていることを感じますし、冬の団欒に蜜柑は欠かせません。

走り去る子等の残せり蜜柑の香  丹治美佐子(たんじ みさこ)

数人の小学生とすれ違った時に、甘酸っぱい蜜柑の香りが仄かにしました。ランドセルを置くと同時に、おやつの蜜柑を頬張り、すぐさま約束していた友達と遊びに出掛けたのでしょう。すれ違い際のはしゃぎ声と甘酸っぱい香りは、放課後によく遊んだ幼なじみの顔を思い出させてくれました。

平成20年11月1日  『未来図』 丹治美佐子

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